ピアニストとして、今、私のいる場所

アーティストインタビュー
高木里代子さん(ジャズピアニスト)

衝撃のデビューへの道筋

── ご自身が言われる“カオスな日々”から、いかにしてメジャーデビューにつながっていくんでしょう?

地道にジャズ演奏場所の開拓を続けている時、赤坂のピアノバーで、ある音楽ジャーナリストの方と出会ったんです。日本レコード大賞などに関わられている方で、そのお店というのは、その方のアジトのような、お客さんがいない時には自身でカホーンを叩いて遊んでるみたいな場所。最初はママに紹介されて「頑張りなよ」程度の挨拶だったんですが、その後、またお会いする機会があって、ちょうど私がInner City Jam Orchestraの活動が注目されている頃で「最近すごいじゃん、頑張ってるね」って声をかけてもらえたんです。当時、私はInner City的な打ち込みの音楽とジャズを融合できるんじゃないか、って考えていて、それを相談したら「本気でやるなら協力する」、「まずはとにかく曲をつくりなさい」ってアドバイスされて、そこから定期的にできた曲を聴いてもらうってことを繰り返しました。

 

曲ができたからといって、すぐに何か動き出すわけではなくて「ここはもうちょっとこうした方がいいんじゃない?」っていうダメ出しというか、アドバイスをもらって、何度何度も曲を書き換えました。「本当にかっこいいもの創らないと、僕は協力できない」とも言われていましたし。で、しばらく経った頃に「1回客前で演ってみようか」って言ってもらえて、渋谷のJZ Brat SOUND OF TOKTYOでライブを開催したんです。ピアノ、ベース、パーカッション、トランペット、バイオリンっていう編成にDJを絡めた形の。

 

── それがavexからのメジャーデビューにつながる、ひとつのプロトタイプみたいなものになるわけですね。

そうですね。「とにかく曲をつくりなさい」って言われてから4~5年。ようやく「これならいけるんじゃないか」ってなったのが29歳の時でした。

Inner City Jam Orchestraでの活躍で、ダンス、ハウスミュージックシーンで注目を集める

 

メジャーデビューのプロトタイプともなったJzBratでのライブ

── そして何度も話題に出た東京JAZZでのパフォーマンスから『THE DEBUT!』リリースの一連の流れです。高木さんの印象を決定づけたというか、大変失礼な表現をすれば「ジャズにあるまじき」(笑)活躍というか。

プロデューサーをお願いした音楽ジャーナリストの方から、普通のジャズピアニストでアルバムを出しても埋もれちゃう。だからavexのような仕掛けられるレーベルの力も借りて、まずは世間にバンって知られるインパクトのあるデビューをしようって言われて、私自身もInner City的なダンスミュージックとジャズの接点を考えたのは、若い人たちにジャズの魅力を届けたい、ジャズファンにはこういう新しいインタープレイもあるんです、ってことを伝えたいって想いがありました。

 

東京JAZZはメジャーデビュー直前で、外のステージだし、ちょっと天気もぐずついてたし「水着で演っちゃう?」って、半ば勢いというか「いくならここしかない」みたいな感じでした(笑)。

2015年の東京JAZZでは白の水着姿で登場して話題を集める

── もちろんそんな話題が先行しましたけれど、『THE DEBUT!』って全部が高木さんのオリジナル曲で、打ち込みのアレンジも全部ご自身が手掛けてらっしゃいます。新人のデビューアルバムとしては異例だし、おそらく今、お話いただいた何度も試行錯誤をした曲づくりや、地道に演っていたピアノバーでの演奏とか、実はいろんな背景が凝縮された一枚なんですね。

そうなんです!。POPな曲調とか、DTMをベースにしたアレンジとか、コアなジャズ層の方々からはディスられたり(笑)もしましたが、私自身はこのアルバムで高木里代子という存在を多くの方に知ってもらえましたし、自分が納得して創った大事な曲たちでした。最初にもお話ししたように、今回出した2枚のアルバムについても、こうした経験がしっかり反映されていると思うし、こういうことをやってきた高木里代子だからできるスタンダードってものを出せた。だからヤマハのJ専、不登校、大学、カオスの時代、メジャーデビューを経て、全部一本につながっているんです。

 
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