いつだって私のそばにはピアノが

アーティストインタビュー
宇徳敬子さん(シンガーソングライター)

ソロデビューアルバム1位へ

── スカウトからその後の話を駆け足で聞いてきましたが、なんかジェットコースターみたいですね。シンデレラストーリーというか。

こうして振り返ってみるとピアノに導かれている感じはしますね。もし、幼少の頃にピアノを習ってなかったら、あの時、清里に行ってなかったら、そこでピアノを弾いてなかったら、それを社長が見てなかったら、なんて思うと。不思議な世界ですね(笑)。
 

── B.B.クィーンズの<おどるポンポコリン>については説明不要かと思うんですが、そこに新人として参加した宇徳さんにとってはどんな経験だったんでしょう。作曲の織田哲郎さんを筆頭に、ボーカルの坪倉唯子さん、近藤房之助さんはじめ、メンバーは音楽業界におけるそうそうたる面々じゃないですか。

色々な楽器が鳴っていて、オモチャ箱をひっくり返したような音楽ですよね。しかもそれは不協和音や騒音ではなくて、すごく緻密に計算されている。織田哲郎さんが良い意味で遊び心でつくられた楽曲にミュージシャンが集まって、そこにいろんなアイデアが重ねられていく。作曲者、ミュージシャンたちと楽しみながら自由な発想を重ねていくことで音の層ができあがっている。そんな現場を経験できたのは貴重だったと思いますし、自分自身もすごく楽しかったですね。一新人として、そんなプロフェッショナルなクリエーター集団の中でお仕事ができたのは、ヤマハで学んだ音楽理論を応用できたからだと思います。

── ウィキペディアなどを拝見すると<おどるポンポコリン>については当初、大した宣伝もしないから「5万枚から10万枚行けば良い」と思われていたそうですね。ところが蓋を開けたらダブルミリオン(200万枚)に迫る勢いで、その年の賞レースはほぼ総なめ、大晦日の紅白出場まで一気に駆け上がります。おそらく日本歌謡史を振り返った時に、< およげ!たいやきくん>などと並ぶ社会現象にもなった曲です。ぼくらはそれを受け身で聴いていた側ですが、その渦中にいた方はどんな感じだったんでしょう。

当初は、なんかすごいことになっているらしいという他人事のように感じていました。音楽制作が中心でライヴツアーをしていなかったのも大きかったかもしれません。だから世の中とはちょっと温度差がありましたが、TV出演をきっかけに、徐々に私達のデビュー曲が社会現象になっている事を実感していった気がします。『おどるポンポコリン』から始まったアルバムレコーディングは「本気で音楽を愉しめるクリエイティヴな環境」でした。
 

── その感覚は、その後のMi-Keでもあまり変わらない?

そうですね。Mi-KeはB.B.クィーンズのバックコーラスからスピンアウトして生まれたプロジェクトで、B.B.クィーンズの時と一緒で、基本ライヴはやらずにTV出演とレコーディングが主体の活動でした。ディスコグラフィーを見てもらうと分かるように、91年のデビューから93年までの間にシングル11枚、アルバム7枚という、ちょっと今では考えられないようなペースで作品をリリースしています。91年に日本レコード大賞の最優秀新人賞をいただいて、紅白に2年連続出場しているのですが、一番覚えているのはありがたいことに歌番組へのTV出演と、とにかくスタジオに居たこと!お正月以外はスタジオで歌っていたんじゃないでしょうか(笑)。
 

── 1993年にはソロデビューシングル<あなたの夢の中 そっと忍び込みたい>、翌94年には1stソロアルバム<砂時計>をリリースします。ここではそれまでのB.B.クィーンズ、Mi-Keとは一転してアーティストとしての宇徳さんが全面に出ている感じですね。アルバム10曲中5曲を作曲され、詞も8曲を宇徳さん自身が手がけています。

初のソロルバムを制作するということで、今までのプロジェクト企画のような攻めのイメージではなく、ナチュラルにあるがままの自分を映し出し、そして人肌の温もりを感じるピースフルな作品にしたいなという考えがありました。曲創りに関しては、ピアノを弾けるんだから自作曲でいきませんかと制作サイドに背中を押されてスタートしました。
 

── 自身のソロアルバムの大半の楽曲を自作でというのは、相当なプレッシャーではなかったですか。それこそ失敗できない、ヒットさせなければ後がない、というような。

アルバム制作に関しては、まず私自身がシンガーソングライターとして、自作曲が形になるのかなというプレッシャーの方が強かったですね。こうしたら売れる、こういう曲がウケるという作為的なことが先行するのではなくて、自分の内から溢れてくる言葉やメロディーをキャッチする。そんな創り手の思いが自然と形になったタペストリーにしたかったので、ヒットするとかしないとかはあまり気にしてなかったように思います。
 

── そしていきなりのオリコン1位です。

チャート発表の日に会社の方から、とんでもない事になっている?!と言われ、、まず聞いたのは「100位内に入っている?」、「もしかして左ページ(50位以内)ってこと?」でした。まさか自分のデビューアルバムが1位になるなんて想像も期待もしてなかったです。

 
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