いつだって私のそばにはピアノが

アーティストインタビュー
宇徳敬子さん(シンガーソングライター)

何気なく弾いたピアノがシンガーの道を拓いてくれた

── そんな宇徳さんが歌い手を意識し始めたのはいつ頃なんでしょう。

短大時代、友達と買い物に行った原宿のラフォーレ前で、色々な会社のスカウトマンから声かけられて名刺をもらいましたが「怖い、怖い、これが噂のスカウトだ」と思い、その日は横浜の親戚の家に泊まったのですが、某プロダクションの方が、尾行していて、、、家の近くで見失ったらしいんです(笑)。
後日また、家の近くを訪ねてきて聞き込みをしていたらしいんです。「こんな感じの女子大生くらいの女の子がこの辺に住んでいませんか?」って感じで、、、それが、周りまわって叔母の耳に入り、お宅にいる親戚の子じゃないの?となったらしいです(笑)。
 

── それがその後、所属することになったスターダストプロモーションだった?

そうです。厚生大臣(現:厚生労働大臣)の認可を受けた会社ですと熱心に説明された事を覚えています。叔母に「そんな悪い人に見えないよ、いとこの〇〇ちゃんにも似た感じだし」と勧められ、改めて会社で社長にお会いして、正式に所属する事になりました。
 

── モデルとしての才能を見出された?

どうですかね(笑)。ただ、歌手になりたいって気持ちはありましたが、一方で「芸能界は怖いところ」というイメージも持っていたので、モデルは「今しかできない選択肢」という意志で挑みました。たとえダメでも「私には幼稚園教諭の資格がある」と当時は考えていました。

モデルデビュー当時のプロフィール写真

 

── これをきっかけに念願の歌手へ、という感じではなかったんですね。

当時の自分からは歌手になりたいとは言えませんでした。
 

── ではその後、宇徳さんが歌の世界に進まれたのはどんなきっかけがあったんでしょうか。

モデルの仕事は、基本オーディションなんですが、スカウトされてからラッキーなことにすぐに都市銀行のイメージキャラクターに採用されたり、他にもナショナルクライアントの広告のお仕事が次々と決まっていた頃に、たまたま所属事務所の合宿が清里であったんです。宿泊先にピアノが置いてあったので、なんとなく弾いていたんです。それを事務所の社長が見ていて「あれ?宇徳ってピアノ弾けるの?」と聞かれ、そしてその夜、みんな集まってカラオケ大会となり、他の人が歌ってるのに合わせてハモったりして・・それを社長が見ていて「あれ、なんで宇徳はそんな簡単にハモったりできるんだ?」って思ったらしいんです。
 

── ピアノと歌を聴いて、宇徳さんの音楽的才能に気づいたんですね。

の時どこまでどう思われたのか?定かではないですが。後日、スターダストの社長から連絡があり、突然、レコーディングスタジオに呼ばれて、スタジオにあった楽曲リストから2曲選び、高橋真梨子さんの<桃色吐息>と中森明菜さんの<AL-MAUJ>を歌いました。その日に即、合格です!と。それがあのB.B.クィーンズのメンバーのオーデションだったんです。

 
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