数々のJ-POPのヒットチューンを始め、ジャズ、フュージョンに至るまで幅広い活動を繰り広げる音楽プロデューサー、アレンジャー、キーボードプレイヤーの安部潤さん。最近では和楽器とジャズ、フュージョンを融合させたバンド<坐音(ザオン)>を率い、その視線は世界へと向かっています。今回のインタビューはそんな独自の活動を展開される安部さんが、ヤマハピアノサービスの横浜センターを訪問。ヤマハリニューアルピアノ®︎の再生工程の見学いただき、完成品を試弾した感想のほか、安部さんの音楽活動についてお聞きしました。
求めるのは“美しい余韻”
── 今回は作曲家、編曲家、そしてピアニスト、キーボディストとしてJ-POP、フュージョン、映画音楽など多くの楽曲に関わられている安部潤さんにお話を伺います。今日はヤマハピアノサービス横浜センターにお越しいただき、実際にリニューアルピアノ®︎の再生工程の見学、再生済みのリニューアルピアノ®︎の試弾もしていただきました。まずは初めて触れたリニューアルピアノ®︎について率直な感想からお聞きしたいと思います。
おそらく多くの人が中古っていう言葉から抱くイメージってあると思うんですが、今回工房で鍵盤や内部の部品をバラして、一つひとつ確認して修復していく作業を拝見して、実際の完成品を弾かせていただいた率直な感想は、中古というより“再生”っていう言葉がふさわしいピアノってことですね。外装の傷とか目で見てわかる部分だけじゃなく、弦やハンマーなど細部に至るまで手が入っている。同じ修理、修復といってもひとつ上、“高級な再生”と言えばいいでしょうか。
僕自身シンセサイザー、エレピなども多用しますし、純粋なピアニストとは違うんで、ピアノに関して偉そうに語れる資格はないのかもしれませんが、アコースティックピアノに関しては“余韻の美しさ”を大切にしていて、それを見極めポイントにしています。今日弾かせていただいたピアノはきっちり響くし、ピアニッシモもきれいに鳴ってくれる。また下の方を弾いた時のガーンとくる感じもちゃんとある、ものすごく気持ちの良いピアノでした。
飛田泰一センター長の案内で横浜センターの工房で作業工程を見学する安部潤さん
── 安部さん自身のヤマハのピアノに対する印象はどういうものでしょうか。
ヤマハのピアノを一言で表現すると、安心、信頼でしょうか。日本のものづくりに共通するイメージでもあると思うんですが、僕自身、幼少期から練習していたピアノが実家にあるC3というヤマハのグランドピアノなので、どこかホッとする感じ。同じように幼い頃からヤマハピアノに触れてきた人ならこの感覚は分かってもらえると思うんですが。
研磨工程の様子
幼少期、ピアノ教室の発表会
── 安部さんがピアノを始めたのは3歳だとお聞きしました。
母がピアノ教室をやっていまして、その関係で自分がやりたいとか、やりたくないとかいう以前に、自然にピアノのある生活があったという感じです。ただ一日中夢中になって弾いていたかというとそうでもなくて、音楽に対する自発的な目覚め、興味が芽生えたのは、中学で吹奏楽部に参加した頃からですね。
── 吹奏楽での担当パートは?
トランペットです。当時、水曜ロードショーっていう水野晴雄さんが解説する映画番組があって、そのオープニングがニニ・ロッソの「水曜日の夜」って曲で、子ども心にものすごく心に響いたのを覚えてます。で、しばらくしてハーブ・アルバートに出会いまして、そこからですね、強烈にフュージョンに傾倒していったのは。
福岡のご実家にあるヤマハグランドピアノ
── 世界的なフュージョンブームが起きたのが1970年代後半。そこにどハマりしたのは、安部さんより上の世代ですよね?
そうですね。ウェザーリポート、クルセイダーズ、ラリ・ーカールトン、スパイロ・ジャイラなど、僕らより上の世代、当時の大人たちはこぞって聴いてたんじゃないですかね。
── 逆に安部さん世代の中学生たちはハードロックバンドとかに夢中だったのでは?
ええ、ただ僕の場合は母のピアノ教室に通う方の影響が大きくて、ジャズ、フュージョン好きの生徒さんが母に渡したカセットテープがあり、それを聴いて衝撃を受け、もうそこからはフュージョン一辺倒でした。
── ジャーンっていう大音量のギターリフから始る音楽とは一線を画して育ったわけですね。
周りがそういう音楽に夢中になる中、自分はフュージョンの名盤からドラムソロとかベースソロのかっこいい部分を集めたテープを編集して楽しむような子でした。音楽的な趣味嗜好を分かり合える友だちは。ほとんどというか、ほぼいなかったです(笑)。