私とピアノ

PART2

ラウンジでのオリジナル演奏をきっかけに
1stアルバム「AIRE」が誕生

谷川公子(ピアニスト/作曲家/プロデューサー)

 

私とピアノ

PART2

ラウンジでのオリジナル演奏をきっかけに
1stアルバム「AIRE」が誕生

谷川公子(ピアニスト/作曲家/プロデューサー)

加古隆氏の唯一の弟子に

── 加古隆さんに師事したのは、このアメリカ帰国後ですか。

アメリカから帰ってきて音楽の道へ進むと宣言するといろいろな方が親身になってアドバイスしてくださいました。「ボストンのバークリー音楽院で学ぶのが良い」とか「ジャズピアノの先生なら〇〇さんを紹介する」とか。でもいつも私の中では何か今まで聴いたことのないものを求めていて、「あの砂漠やインディアン居留区で見たもの、感じたものは違う」とずっと感じていました。悶々と二年くらい経った頃、ある方が「君が言ってる音楽はもしかしたらこういうのじゃないかな?」と勧めてくれたのが草月ホールで行われた加古さんのピアノソロコンサートでした当時の演奏は現代音楽、フリージャズのような即興、有機的な自然を通り越した宇宙の響きで、未体験ゾーンでしたし、何が起こっているのかほとんどワカラナイ世界だったにも関わらず、そのコンサートを境に、「私の師匠はこの方しかいない」と啓示を受けて(笑)、そこからなんとか教えを乞うためのアプローチを開始したわけです。
 

修行時代のワンルームにU1と自転車

── 簡単な話ではないですよね。

ところがご縁があったんです。なんと商社時代の上司の奥さんの妹の旦那さんが音楽家で、加古さんはそのお兄さん!だったんです。
 

── 太いか細いかちょっと分からないけれど(笑)、少なくともきっかけは見つけたと。

コンサートを観て3ヶ月後くらいにお会いできることになって、30分くらい私が一方的に自分がやりたいと思っている音楽について話しました(笑)。加古さんは「今、パリから日本に拠点を移したばかりで人を育てる余裕はない」「弟子をとるつもりもない」とおっしゃってましたけど、私のあまりの思い込みに根負けしたのか(笑)、「一週間後に作品を持って来なさい」と言ってくださいました!
 

── 弟子への第一関門を突破ですね(笑)。

ええ、ただそこからが大変で・・・ふと我に帰ると持っていく作品」ってなに!?なわけです。どういうものを持っていけば良いかもわからない、実際レッスンをしていただけるのかもわからないなりに、一週間無我夢中で曲をつくって、先生の目の前でとにかく弾いて・・・。「じゃあ月に一度なら見てあげるよ」とおっしゃる加古さんに、「私はもう20代半ば。それでは間に合わないので、一週間に一度でお願いします」と食い下がり、何が「間に合わない」のか自分でもよく分からなかったけれど、モチベーションと情熱だけは人一倍で(笑)、なんとか週一回のレッスンを約束していただきました。

修行時代はU1で作曲も

 

── まだこの頃は最初のアップライトピアノを自宅で使っていたんですよね。

一緒に家を出て、加古さんのレッスンを受けるようになって数年はこのピアノですから、まさに修行時代を共に過ごしたピアノいうことになりますね。作品もたまってきて「微妙なタッチテクニックなど作品の表現において、コンサートで弾くピアニストとして磨きをかけていくには、そろそろグランドピアノに変えた方が良い」と先生や調律師さんからアドバイスされたこともあって買い替えの決断をしました。 当時レッスンに通っていた加古さんのスタジオにあったグランドピアノのブリリアントな響きが気に入っていたこともあり、同じYAMAHAを念頭に、アップライトにもグランドにも共通する音を信頼してC3を購入することにしました。ちなみに一人暮らしのワンルームマンションにグランドピアノは置けないので、と両親を説き伏せ、めでたく数年ぶりに実家に戻ることとなり、戸建て住宅の一階の和室を床補強と簡易防音、プラスC3グランドも合わせて出世払いとなりました(笑)。
 

── ピアノが実家に戻してくれた(笑)。

自立のつもりが・・・結果的にはそういうことになりますね。つくづく親とはありがたいもの、どうしようもない我儘もいつかは受け入れ、何があっても影になり日向になり応援してくれました。その深くて大きな愛に感謝でいっぱいです。 

 
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