私とピアノ

PART3

そして今、あらためて
ピアノソロにこだわる理由

谷川公子(ピアニスト/作曲家/プロデューサー)

苦しい時を支えてくれた一台

プライベートスタジオで創作談義

 

── その後、お二人によるピアノ&ギターユニット<Castle In The Air(キャッスル・イン・ジ・エアー)>を結成され2007年にアルバムも発表されます。この創作活動を共に歩んだのはC3からバトンを受けたサイレントグランドになるわけですね。

都心のマンションの音の問題に限界が来て、完全防音で録音にも適した環境のスタジオをつくろうと、創作拠点ヒルトップスタジオを新浦安のベイエリアに移しました。そこにC5-SGを導入したのが2003年でした。このサイレントが来たことで香津美さんがギターをかき鳴らしている横でもヘッドフォンをして作・編曲作業ができる。アイデアを思いついたらサイレントから生音にしてすぐに合わせてみる、なんてこともできました。ただもちろんそうしたサイレントの便利さだけでなく、私にとってこのC5-SGは“戦友”というか、すごく思い入れのあるピアノなんです。

 

Castle In The Air

 

── というと?

<Castle In The Air>ではギターとピアノのユニットというシンプルな構成の中で、自分の音楽を再構築してみたかった。インプロビゼーションではなくて楽曲に立ち返りたい、というのもありました。その手応えはアルバムづくりでも感じていて、評価もいただき、このアルバムがきっかけになって映画『火垂るの墓/実写版』(日向寺太郎監督作品)のオリジナルサウンドトラックの制作も任されることになりました。そんな「よしこれから」という時に乳癌がみつかって、音楽活動どころか命さえも、という状況になってしまったのね。映画の完成披露や香津美さんの海外公演が一段落したところで手術を行い、術後のケアと寛解への道に向き合った時、私が選択したのが西洋医療ではなくて代替医療。具体的には食事療法や温熱療法を中心に生活のリズムなどを見直し、心と身体、精神のバランスと浄化を行うということになります。おかげさまで寛解しましたが、お墨付きをいただくまでの10年間、一時は音楽活動もままならないほど痩せたり、ちょっと油断して根詰めて仕事をしたストレスで橈骨神経麻痺という右手の神経が麻痺する症状におそわれ、演奏復帰のリハビリが大変だったり、年齢的にも体力が落ちるのをどう乗り越えるか、など、癌という病から始まった命の旅がもたらす紆余曲折を経て、真の人生をとりもどすまで、私のそばにいつもいて、慰め、癒し、勇気を与えてくれたのがこのC5-SGだったんです。

── 今、スタジオにお邪魔するとS6Xがあります。苦しい時を共に過ごされたC5-SGを手放すのは辛かったのでは?

今はここにないのですが、実は大切な場所に預けてあります。それは信州小諸にある中棚荘という素敵なお宿。1996年に初めて訪れて以来、親しくおつきあいをさせていただいているお宿で、2011年の震災の時も疎開していました。私たちの住まいがある地区が液状化の影響で上下水道の復旧が大きく遅れて、精神的にも音楽家として二人とも無力感におそわれたりしたこともあり、その間、1ヶ月半くらい静かに滞在していました。最初C5-SGは下取りをしていただこうと考えていましたが、思い入れが強かった分、手放すのにはやはり抵抗があったんです。でも置いておく場所が無い。そんな時、「そうだ、あのお宿にピアノがある光景って素敵」と勝手に閃いて、女将に相談したんです。インテリアとしてじゃなく宿泊者が触れて、自由に弾いていいし、このサロンで小さなコンサートやワークショップもできるんじゃないかとも考えて。なんていうんだろう、私としては「遠くて近い、大切な癒しとやすらぎの里に預けている」という感じですね。
 

信州小諸の中棚荘に搬入したサイレントグランド

 

── ここまでピアノ遍歴とともに谷川さんの音楽活動をざっと振り返ってきましたが、最後に一番新しいアルバムの話をお聞きしたいと思います。2018年に初のピアノソロ作品<はじめてのピアノレッスン>を発表されました。これまでいろんな音楽表現に挑戦してきた谷川さんが、今、なぜピアノソロなのでしょうか。

私はスタジオにこもると幸せで、ピアノに触ること自体が楽しく、ものすごく至福な時を過ごせる。癌と向き合い、ライフスタイルを見直した近年は特に。そんな時を過ごしていて、ふと思ったんです。「今まで自分の作品を通じてピアノの音だけで空間をつくる、ピアノの表現力を突き詰める時間ってなかったかな」って。<はじめてのピアノレッスン>は哲学者で詩人のエミリー・R・グロショルツさんの詩集『こどもの時間』にインスパイアーされてできたもの。表題曲のほか『秋のソナタ』、『地上の星』はそこに収められた詩のために書いた曲で、なかでも冒頭を飾る『はじめてのピアノレッスン』は詩を見た途端に浮かんだ曲。詩を見た瞬間に、はじめてピアノに触れた頃の楽しくて仕方ない気持ち、キラキラとした心を思い起こしたんです。ピアノをずっとやっている人はもちろん、まだ触ったことのないこどもたちに、そんなピアノの楽しさを伝えたい。ピアノっていうのは学びの道具じゃなくて、まず音の楽しさがある、そんな“素敵なおもちゃ”なんだっていうことを知って欲しいと思ったんです。
  

はじめてのピアノレッスン/谷川公子 ソロピアノ作品集

 

プライベートスタジオにてS6X

 

── 収録された楽曲には即興性というか、谷川さんのある種のいたずらが散りばめられている気がします。

まさにはじめてピアノを触った時の喜びや驚きですね。音が降ってくる、それが点になって、つながって一つの曲になる。だから譜面には大枠のフレームしか記していないんです。あとはそれぞれが感じたままに鍵盤に指を走らせ奏でればいい。ピアノ音楽って近年、都市文化的にはアカデミックなものになっていますよね。そんな芸術的な面を否定はしませんが、一方で私はもっとプリミティブな原始的なところに戻したいとも思っているんです。誰でも触れば音が出る。木を叩いた時に鳴る自然な音の楽しみ。そういうものを日常的に親しんで欲しい。<はじめてのピアノレッスン>が、そのきっかけになってくれたとしたら、すごく嬉しいですね。
 

── お話をお聞きしていて感じたのですが、谷川さんの音楽観とリニューアルピアノはどこかリンクしているようにも思えてきます。

たしかに、ピアノって土台は自然の樹木から生まれるもの。誰かが使っていたピアノが再生され、次の人の手に渡るというのは、木の魂を受け継ぐっていうのかな、自然から生まれた楽器の輪廻転生の物語を紡ぐことなのかもしれません。ピアノはそれを知るプロの手によって大切に扱っていけば、一生を共に歩んでいけるもの。その意味でリニューアルピアノにはその一台が歩んで来たストーリーを想像する楽しみもありますね。時を経てもきちんと変わらぬ音を奏でるピアノを弾くことで、「あーこのピアノは弾き手や職人の人たちに愛されてきたんだな」って。

プライベートスタジオにてS6X

 

── 谷川さんにとってヤマハのピアノとはどんな存在ですか。

縁あってずっとヤマハのピアノを弾いて来たので、私にとってはヤマハの音がスタンダード。ヤマハのピアノは納入されたときから完成された音を出してくれると感じます。例えば外国製のピアノは環境の違う場所に置いたら、一年寝かせる、春夏秋冬になじませる“慣らし”の期間が必要といわれますが、ヤマハは最初からほぼ完璧。お世辞ではなく、日本のものづくり、匠の技を感じます。音楽に関わる日本人の一人として、我が国にこんな素晴らしいピアノづくりの技術があるということは誇りと言えますね。

谷川公子
ピアニスト/作曲家/プロデューサー
加古隆(作曲家・ピアニスト)の唯一の弟子として独特な指導を受ける。映像的で壮大な楽曲からピアノやギターの小品まで、その美しいメロディーラインと透明感のあるアンサンブルによる作品群は高く評価されている。公私ともにパートナーであるギタリスト渡辺香津美とのユニットCastle In The Airとしても活動中。最新作はキャリア初となるピアノソロ作品集「はじめてのピアノレッスン」(gracim records)。
www.kokotanikawa.net

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