私とピアノ

PART1

アメリカ南西部の砂漠で気づいた自分の頭の中で鳴っている音

谷川公子(ピアニスト/作曲家/プロデューサー)

思わず口をついた「ピアノをやる」という言葉

1981年 商社自動車部時代(外車ショーにて)

 

── ではどういうきっかけで音楽の道に。何が谷川さんを動かしたのでしょう。

商社に就職した頃はバブル全盛期。新人とはいえ残業もあり、それでも仕事が終わるとワイワイと六本木や赤坂に繰り出し、食事をした後にはジャズクラブやピアノバーなどに連れていってもらうなど、今まで知らなかった世界を見せてもらいました。週末は会社のテニスコートで汗を流し、ここは大学か、と思うような楽しい部活動の交流も盛んで、同僚も先輩も上司も最高、華やかなOL生活だったと思います。素敵に楽しすぎてあっという間に時間が経ち、ちょっと短期間で燃え尽き症候群に陥った感あります(笑) 心のどこかで9時から5時までじっとデスクワークというのは性に合わないと思っていたし、もっと自分らしい生き方があるのではないか、という人生の命題にぶつかってこのままではいけない!先ずは会社を辞めよう、と、親にも何も相談せずに決めてしまいました。ただこの時点で音楽を生業にするということは明確に頭にはなくて、むしろ《退職する=まずはこの生活感を変える》ことが自分にとっては重要だったんです。
 

── ピアノありきで辞めたわけではない?

ぼんやりとは頭の中にはあったのかもしれません。親に会社を辞めることを告げると当然のことながら激怒され「辞めてどうするんだ」と問われて出てきた言葉が「ピアノやります!」でした。それがいったいどういうピアノの道を指すのかは全くわかっていなかったのですけどね。 上手く説明できない時の常套手段として、半ば親から逃げ出すような形でひとまずアメリカに旅立ったわけです。

── なぜアメリカに?

ほとぼりを冷ます・・・ということはありましたが、それよりも、何の不自由なく育てられた娘が、成人過ぎて就職しても親の庇護の元にぬくぬくしている、というのが現実で、そのままでいれば幸せに暮らせるのですから、そこから脱皮というのは、生半可なことでは駄目なんだ、と切羽詰まったものがありました。でも、どうしていいかわからない。意識改革と自分探しが一緒になって、新天地を探していた感じです。アメリカ西海岸を選んだのは学生時代に初めての海外旅行でサンフランシスコやロスを訪れたこと、サンディエゴではホームステイも経験していて、ホストファミリーや知人もいて、土地勘もあったというのは大きいです。 ライフスタイルや風土に強い憧れもありました。逃げるように?渡ったカリフォルニアですが、この時期の出会いと経験が音楽の道に進む大きなきっかけになりました。カリフォルニアから数時間も走ると西部開拓時代のような風景が広がるのをご存知の方もいるでしょうけれど、その荒涼とした自然が圧倒的でした。誘われるまま何度かドライブ旅行に出ていて、ある時、衝撃的な出来事に遭遇しました。 壮大な景色を求めてデスヴァレーという砂漠地帯を訪れたとき、ラスベガスに向かう道の途中で、車が故障して6時間あまり立ち往生。真夏だと気温が50℃にもなって立ち入り規制になるような過酷な場所。私が行ったのは夏前でしたけど、その日、車の外は40℃はあったと思います。日本のようにJAFが来るわけでもなく、もちろん携帯も公衆電話もなし。車のボンネットを開けて、通る車に「故障しているから助けて」合図を出してみても砂漠の真ん中、6時間の間、一台も車が通らないし、クーラーをつけっ放しにしているわけにもいかない。冷静に考えれば生死に関わる危ない状況なのだけど、不思議と全く恐怖を感じなかったんです。むしろ砂のうねりがあまりに美しくて大地に抱かれているような、その中にいるちっぽけな自分にとっては子守唄が聞こえるようでした。人間はこの自然に生まれ、土に還っていく、という気づきでもありました。そして自分の頭の中で鳴っている音、自分が表現したい音楽はここに在る、と漠とした予感がありました。
 

── 有り体ないい方をすれば価値観が変わったってことでしょうか?

それまでクラシック、ロック、ジャズ、ポップスいろんな音楽に出会ってきて、心惹かれる曲、夢中になるサウンドというのはありましたが、自分が創りたい音楽はそのどこにもなくて、自分の身体の中で鳴っている音は、自然、風景、宇宙というか、普遍的な生命の鼓動に近いものなのだということに気づかされたんですね。ちょうどその頃、西海岸ではニューエイジが全盛。日本ではそんなムーブメントはまだ起きていなくて、むしろニューエイジ=イージーリスニングと捉えられていました。癒し系でくくられるような真に《ニューエイジ》というのはそんな聴きやすさだけではなくて、環境問題や人種差別などの不自然な現象に一石投じ、宗教・思想を超えての結びつきで自然や人間の根源を見つめ直す創造的な世界観です。デスヴァレーでの経験から「私が鳴らしたい音はこれだ」と気づき、程なく帰国した私は「自分の道を生きる」宣言して親元を出ていくことになりました。あのマホガニーのアップライトピアノと一緒に。

1982年 米国アリゾナ州ツーソンにて

 

1982年 カリフォルニアにて

 

1982年 カリフォルニアにて

谷川公子
ピアニスト/作曲家/プロデューサー
加古隆(作曲家・ピアニスト)の唯一の弟子として独特な指導を受ける。映像的で壮大な楽曲からピアノやギターの小品まで、その美しいメロディーラインと透明感のあるアンサンブルによる作品群は高く評価されている。公私ともにパートナーであるギタリスト渡辺香津美とのユニットCastle In The Airとしても活動中。最新作はキャリア初となるピアノソロ作品集「はじめてのピアノレッスン」(gracim records)。
www.kokotanikawa.net

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